擬音囃子
部屋で定期的にキッチンのシンクの方から聞こえてくる擬音
「ボコンッ」
テレビのリモコンの柔らかいボタン押す時の擬音
「ネルリッ」
スティックのりを塗る時の擬音
「ムノーン」
コードが何かに引っ掛かりカナル型イヤホンが耳から力強く抜ける時の擬音
「ドリリュッ」
パソコンからUSBメモリを抜き取る時の擬音
「ショコシュッ」
普段カッコつけてるやつが階段でこけてたじろいでる時の顔の擬音
「セブルリロッ」
銭湯の脱衣所で堂々としているおっさんの股間の感じの擬音
「ドマーニ」
急いで帰っている時の心の中の擬音
「ジョルリナーノ」
初めて行った場所が真っ白な曇り空だった時の現地民の顔の擬音
「フェーーーーン」
誤解が生じてどうにかしようとするがどうしようも無いので誤解されている方の状態に乗っかってしまう時の擬音
「デルミン」
帰宅して部屋には誰もいないが寂しいので「ただいまー」と言う人がこの世の中にはいるんだよなーと誰もいない部屋に帰宅した時に思った時の擬音
「ピレーム」
ゲソ天
先日うどん屋に行き、天婦羅コーナーにおいて何気ない気持ちでゲソ天を皿に乗せた。
頼んだ大盛りのうどんを美味い美味いと言いながら食べて、先ほどのゲソ天に箸を伸ばす。ゲソ天の脚側のびらびらしているところを半分ほど口にくわえ、がぶりと噛み付いた。噛み切った、と思ったところでゲソ天を自分から離すように引っ張ると、なんとゲソ天の衣だけが取れ、ゲソの生身の脚がニュルリと姿を現したのだ。その瞬間ドミノ倒しばりの鳥肌が立った。まるで海洋恐怖小説に登場する悪魔の様なイカの脚がうねうねと目の前に現れ、私の気持ちはノーチラス号であった。食い物にあるまじきグロテスクなビジュアル。ふと振り返ると微笑を浮かべた(悪魔の様な)店主と目があった。どういうことだ。これは仕組まれていたことだったのか。やつは店の地下でグロテスクなイカを養殖しているのか。うどんの表面にイカの脚を模して気づかれない程度のボツボツをつけているのか。毎朝従業員たちに自作のイカダンス(並)を踊らせているのか。
その時だった。店の隅の方の席で一人うどんを食べていた老婆が突然「イカおいしい!」と叫んだ。私は即座にその声のする方に顔を向けた。老婆が食べていたのはイカ天ではなくちくわ天だった。私は店の中にいるのが怖くなり、食べかけのうどんをテーブルに残したまま逃げ出すみたいに店を飛び出した。いつもより速い速度で家に帰り、隠れる様にベッドに飛び込んで毛布を被った私は気づけばガタガタと震えていた。
そして朝日が昇り、何事もなかった風に私は次の日を過ごした。ゲソ天の様な友人とゲソ天の様な会話を交わし、ゲソ天の様な実家からの電話に出て、ゲソ天の様な夕飯を食い、ゲソ天の様なテレビをつけるとニュースではゲソやばい事件が起こり、ゲソ天の様なネットショッピングでゲソ天の様なものを購入し、ゲソ天の様なシャワーを浴びて、ゲソまし時計をセットしたら、ゲソ安心した気持ちでゲソ天ではない眠りについたのであった。
文・下祖利川天次郎
実のなる木
近所を散歩していたら、何かしらの実がなった木が生えていました。その何かしらは何なのかわかりませんでしたが、おそらく柿かビワかその辺りの果物でしょう。木の下にはいくつも潰れた実が落ちていました。
その木の下まで来て私は立ち止まり、枝の方を見上げてその実が水玉模様のように点在している様を見て思わず「わぁ、キレイ」と呟いてしまいました。私はその時、初冬の空とお話できたような気持ちになり、何気無い気持ちで出かけただけなのにこんな出会いがあるのだなぁ、と感動を覚えたのです。
オレンジとピンクの中間色の様な色をしたその実は、柿なのかビワなのか私には判断できなかったので、特にそこから何かしらのエピソードを思い出す事はありませんでしたが、もしもそれが柿だったら小学校の時、担任の先生に好きな果物を尋ねられて、柿と即答したにも関わらず、帰宅してからやっぱりスイカの方が好きかもしれない、先生に嘘をついてしまった、と夜遅くまで頭を抱えたエピソードを思い出し、もしもそれがビワだったら小学校の時に「ビワ団子」というお土産を貰い、「ビワ、ビワ、ビワ、ビワ団子」というフレーズの歌を即興で作り、従兄弟の前で披露したエピソードを思い出していた事でしょう。
特筆すべきは「あー、そうであったらそれを思い出していただろうなぁ」と木の下でその実を見上げている時点で既に思っていたという事です。柿ともビワとも言い切れない果物を見たわけですから、そこから柿やビワに関する何のエピソードを思い出さなかったにも関わらず、もしも柿だと認識していたら、もしもビワだと認識していたら、という想像でそれらにまつわるエピソードを思い出していたのです。
とある発見と、そこから呼び起こされた記憶の関連性に思わず膝を打った散歩の話です。
揚げ揚げ every night
深夜に脂っこいものを食べたら身体に悪いのに、夜中の2時過ぎにギトギトの焼きそばを食べてしまった。オイルを入れすぎた上に豚肉から大量の脂が出た夕飯の残り。こんな物を食べたら死に近づく。焼きそば死(Death of Fried noodles)。昔夜中にギトギトの炒飯を食べた時にも同じことを思った。それは炒飯死(Death of Chinese-style fried rice)。
どちらも焼いたり炒めたりしているのに英語では【fried=揚げる】ことになっている。油が登場したらfriedなのか。油の活動こそfriedなのか。じゃあ油そばはどうなるのか。脂汗はどうなるのか。油揚げは?というか油揚げって、なんでも揚げるのには油使うし意味重複してないか。
でもきっと国語や英語が出来る人を目の前にしたら論破される。だから悔し紛れにそいつの顔に熱々の油をかける。訴訟を起こされる。逮捕される。獄中の食生活は油っぽいものが全然無い。蝿(Fly)が飛んでいる。そんな生活は嫌だ。
油田平吉
大切なお知らせ
謹啓 時下益々のご清栄のこととお喜び申し上げます。
日頃から「海鮮割烹よしゑ」をご愛顧いただき誠にありがとうございます。
誠に急ではございますがこの度一身上の都合により、10月21日をもって閉店させていただくことになりました。
お客様に深く感謝すると同時に、「海鮮割烹よしゑ」の味を次世代に伝えきれなかったことを悔やみ、また皆様の熱い声援、励ましに応えることができないまま、こうして閉店の運びとなりましたことを深く、広くお詫び申し上げます。
なお10月22日からは気持ちも新たに「YOSHIE PACIFIC」として新装開店いたしますので、お客様の方もリニューアルな気持ちで今迄同様ご愛顧賜りますようよろしくお願い致します。
時節柄 お身体に気をつけてくれぐれも御自愛ください。
改めまして、30年間ご愛顧いただき本当にありがとうございました。
謹白
店主 吉村瑛一
重大発表
突然ですがこの場を借りて重大発表をさせてもらいます。
私はこの度、活動休止をすることを決定いたしました。
いつも応援してくれている皆さんに一番最初に報告したいという思いで、このような場を設けさせてもらいました。
数ヶ月悩んだ末の苦渋の決断ですが、自分一人の意思で決めたことです。
どうか引き止めないでいただきたいと思います。
引退ではなくあくまで活動休止です。
何かしらのタイミングが来たら再び活動を再開する予定です。
それが3ヶ月後か、1年後か、はたまた10年後になるのか、それは私にもまだわからないことです。
しかし、いずれその時が来たら今と変わらない気持ちで応援してくれたらとても嬉しく思います。
わがままを言っていることは重々承知しているつもりですが、どうか今まで通りの温かい気持ちで送り出していただきたいです。
いつになるかはわかりませんが、また皆さんの前に元気な姿をお見せできたら、と思います。
今まで応援していただき本当にありがとうございました。