彼の世で我々の三泊四日

今年の社員旅行は温泉だった。

 

私が勤めるのは業績の悪い会社で、もはや上司らしい上司はみな指遊びをしていた。

部屋の電気は薄暗く、端の方の蛍光灯が切れていても誰も替えようとはしなかったので、見兼ねたビルの清掃員が誰も使わない階段の踊り場の蛍光灯を持ってきて付け替えるほどであった。

福利厚生は無いに等しかったが、どこかから安い弁当が運ばれてくるので、食事は困らないといえば困らなかった。

二回か三回か食べれば飽きるような味だったので率先して食べる人はあまりいなかったが、自分は食に興味がない人間だったのでそれを毎日貰っていた。食に興味がある人間と言っても、昼休みに山に入って山菜を採ったり、鹿を捕まえてくるような人は流石にいなかった。

ここは何の仕事をしているところなのだろう。私だけがピンと来ていなかった。

途方もなく巨大な雑居ビル。その隅で私を含む数えられる程度の社員が動いていた。

安い弁当が食えることぐらいが取り柄なので、金が無いことは間違いなかった。

 

ある日の仕事終わりに社長(?)が提案をした。

皆が帰り支度をしようかと立ち上がりかけた時だった。

「みんな、今年は社員旅行に行きませんか」

社長は白髪で決まらない横分けだった。血管か筋肉の繊維のように黒い髪が混ざっている。

この会社に社員旅行は存在しなかったので皆冗談を聞かなかったフリをするような顔をしていた。

「昨日ナショジオで地中海の天然温泉の番組を観たんだ。白鷺がつがいで湯につかってんだよ。俺も奥さんと行きたいなぁと思ったんだけど生憎奥さんはいない。だからみんな一緒に行きませんか、日頃の疲れを流しに」

ベテランの社員・荻窪が白けた口調で返した。

「疲れてないでしょ誰も」

「何を言う」

たしかに8人ほどの会社だが金は無い。全員で温泉旅行に行けば明日も無いだろう。疲れを流せば経営も流れることは皆わかっていた。

「第一そんな休み取れないでしょう」

「何を言う」

「温泉旅行より先にやることあるでしょ」

「何を言う」

「死ぬ気ですか?」

「面白いことを言う。死ぬ気では無くて、かえってより生きようとする為の慰安旅行だよ」

その場が静まり返った。

「慰安旅行…」

皆の心の中で言葉が反響した。

イアン…旅行…。

イアンとジョン…。それはイワンだ…。

自分の頭の中でだけ関係の無い言葉の連想が反響していた。

そしてギャル社員の高峰ぷよよんヒデミチョスが沈黙を破った。

「慰安旅行、私行きたいです」

皆が声の発せられた方に顔を向けた。

注目が散ったことに焦ったのか社長が大きい声で応対する。

「えっ!!!なんか言った!!??」

沈黙。再び大地に夜が訪れた。

そしてまた日が射した。

「私、慰安旅行に行って、みんなと2泊3日のイアンしたいです」

声を発したのはまたもやヒデミチョスだった。

バーーーーーン。社員全員の心中に、煙る温泉街の映像が映し出される。

誰しもの心の中にある本音がそれぞれの内側で鳴った。

「癒された〜い」

自動販売機の言い方で響く。そして。

「行こうよ。」

長老の矢嶋さんが白髪を揺らしながら呟いた。

北側の窓が自然と開く。

風が吹き込んだ。

それぞれの髪が吹き上がれる最大の位置まで吹き上がった。

私たちの心は一つになった。

 

明日、私たちは慰安旅行へ行く。

(つづく)