ロッケンロー酒場
ロッケンロー酒場には今日も売れないロック歌手が集まっていた。
ロッケンロー酒場自体が、その町で一番儲かっていない飲食店だったが、そのに集まる客はその比では無いくらい貧乏くさく、誰一人とて、まともな金を持っていなかった。
そのくせ現行の音楽シーンに対する不満は人一倍あり、酒のつまみに日本のロックやポップスに対する愚痴をこぼしあっていた。
「大体自分で詞曲が作れない奴がどうしてアーティストって呼ばれるわけ?アートっていうのは個人の生命の発露のことでしょ?」
「もっと現状の客層から裾野を広げられなきゃホント未来無いよね日本のロック」
「日本にも腕のあるスタジオミュージシャンいっぱいいるわけじゃない。ああいう人達をどんどん引っ張り上げてきて若手と組ませるみたいな、歌舞伎の連獅子的なことはできないもんかね?」
「歌舞伎の連獅子と言えば歌舞伎の端で三味線とか琴弾いてる人達。あれ大概九州の人だって本当?」
店は0時閉店をうたっていたが、彼らのフラストレーションの発散は毎晩やむことがなく、朝四時ごろまで酒場の明かりは消えなかった。
マスターには悩みがあった。この男たちの不平不満を文句も言わず聞くのは大変で、口を挟もうものなら
「マスター。それ我々の危機感がわかって言ってるの?我々が懸念してるのはこの店なんかよりずっと広いこの国の音楽の話。ひいては世界のシーンの話なわけ。それなりに事前知識がある上で話に入ろうってなら聞こうじゃないの」
「俺マスターのことは好きだけど、我々の畑に入って物言いたいっていうなら話は別だな。それよりさっきの注文入ってる?」
といい年をした中年達がみな大人気なく反論してくる。
大体この男達は全く知らない様だったが、マスターはかつて日本武道館のステージに幾度も立ったことのある、名うてのドラマーであった。
海外の関係者と未だに連絡を取ることもあり、ここの客よりよっぽどその辺の話には精通していた。しかしある時期に音楽をやめてこの町でロック酒場を経営している。
何故を音楽をやめたのかはこの際置いておくが、彼らの着飾った妬み嫉みには我慢ならないものがあった。
毎日夕方ごろには決まったメンバーがまばらに集まり始め、19時を超える頃には大体のレギュラーが揃っていた。
そしてマスターが悩んでいるのは耳の裏のこぶのことだった。
数日前たまたま耳の裏をかいたとき、大きめのこぶができていることに気づいた。鏡に映して見てみるとそれは人間の顔をしていて髪も生えている。パーマがかった長髪だった。
その人面こぶは基本的には眠っていて、寝息を立てたりまれにいびきをかくぐらいでそれほどの害は無い。しかしカウンターに立ち、例の客達の話を聞いていると動き始めるのだ。
「チッ」
「チッ、チッ。…チッ、カスが…」
「…ガタガタガタガタ…うざってえんだよ…」
マスターはこぶを人差し指で撫でてなだめる。
「やめろ…。聞こえるから…」
「聞こえやしねえよ…。俺の声なんか…」
こぶは気性が荒かった。
ここにいる客の会話は不愉快で仕方がないらしく、こぶが苛立つと共に疼きがマスターにも伝わり、ズキズキと痛んだ。
「俺にはこいつらがどれほどのレベルのやつかわかるぞ…おいお前、お前も気に入らないだろこんなやつら」
こぶが囁く。
マスターは客から目につかない店のバックヤードへ移動した。
「おい、コソコソしなくたっていいじゃねえか。あのクソどもにお前が思ってることを全部言っちまえ」
こぶの言う通り、客の言っていることは耐えきれないほど腹立たしかったが、それを口にするのはみっともないことだとマスターは思っていた。
マスターはこぶに問うた。
「お前は誰だ?」
「誰かと聞かれてもなぁ…」
「お前ただのこぶじゃないだろう」
「そりゃあまぁ…そこらへんのこぶとはちょっと違うかもしれない」
「こうやってちゃんと話すと、意外と普通に話せるんだ」
「俺だってイライラしないで済むならそれが一番良い。アイツらの言ってることはあまりにもな…」
「気持ちはわかる」
「殺してやりてぇよ…」
こぶが苦い顔をしてるのは見なくてもわかった。
「わかるけれど、そういうことを言うなよ。客は客だから」
マスターは心のどこかでむず痒さが残るものの、冷静に話そうとつとめた。儲かってないとは言っても自分の大事な店だ。客ともめて変な噂が立つのはよくない。
「俺にはあの話が耐えられねえ。どう言うわけかお前の耳の一番近くにできちまったもんで、そういうところにはよく響くんだよ人の話が」
「耳が傘になってるのに」
まだ客がぼやいている声が聞こえる。
彼らは無闇に声が大きい。
「アイドル風情がチャートにランクインしてるこの惨状に小便漏れるぜ!」
「日本は小便まみれか!?」
「日本の音楽の根幹は揺らいでいる!アマリニモオカシクナイカ!?」
「オカシイヨナ!」
「周辺諸国がのし上がってきてる今、日本の屈強な音楽文化を再度振興しなければな!」
マスターはため息をついた。気が重かったがカウンターへと戻った。
「ロックに水を注げ!偉大なる音楽文化を取り戻せ!」
「そうだそうだ!」
「お遊びのエンタメ音楽は終わりにしろ!」
「そうだそうだ!」
「ニャー!」
表で猫が鳴いた。
春が来ている。人にも盛りの時期というのはあるんだろうか。自分はなるべく心を安定させて生きるように努めている。
にも関わらずこの男たちはなんだろう。理解ができない。自分のことを棚に上げて言いたい放題だ。厚顔無恥も甚だしい。
ドウシテソンナフウニイキラレルノ?
「最高の音楽を作っていこうぜ!」
チャック三田村というステージネームの男が叫んだ。最近ではロクに楽器も触っていない。
「おお!」
賛同の声が店内に響いた後、連中は声を揃えて高らかにこう声を上げた。
「ロッケンロー!」
その瞬間だった。人面こぶが爆発した。
背に並んだ酒のボトルに血が飛び散る。
自然に口が開き、マスターは声を発していた。
店が小刻みに揺れる。グラスの中の酒の表面が揺れる。会話の矛先がぶれる。
「マ、マ、マ、マスター、いいい一体どうしたノノノノの⁇⁇skr鱒たdddddd」
「お前らロックの話ししてたなぁいああああ」
「ししシシししてないよおおおお」
血のついた酒瓶が次々に床とぶつかり割れる。飛び散るガラス片がマスターを避けるように客の元へ飛んで行く。
客の顔はガラス片でいっぱいになった。
「二度とロックのはなしすんなぁああこかああああ」
「mouしませええぇんんぇん‼︎‼︎」
「ごめんねぇんぇんぇんぇんぇん[7(」
「ロッケンロオオオオル」
「mou聴きませぇえんえんんんえええぇ‼︎⁈pop」
「mou歌いますせえぇんえんえ円園縁炎¥en!!!」
「明日もまた来てねえええええええe‼︎‼︎」