ゲソ天

 先日うどん屋に行き、天婦羅コーナーにおいて何気ない気持ちでゲソ天を皿に乗せた。

 頼んだ大盛りのうどんを美味い美味いと言いながら食べて、先ほどのゲソ天に箸を伸ばす。ゲソ天の脚側のびらびらしているところを半分ほど口にくわえ、がぶりと噛み付いた。噛み切った、と思ったところでゲソ天を自分から離すように引っ張ると、なんとゲソ天の衣だけが取れ、ゲソの生身の脚がニュルリと姿を現したのだ。その瞬間ドミノ倒しばりの鳥肌が立った。まるで海洋恐怖小説に登場する悪魔の様なイカの脚がうねうねと目の前に現れ、私の気持ちはノーチラス号であった。食い物にあるまじきグロテスクなビジュアル。ふと振り返ると微笑を浮かべた(悪魔の様な)店主と目があった。どういうことだ。これは仕組まれていたことだったのか。やつは店の地下でグロテスクなイカを養殖しているのか。うどんの表面にイカの脚を模して気づかれない程度のボツボツをつけているのか。毎朝従業員たちに自作のイカダンス(並)を踊らせているのか。

 その時だった。店の隅の方の席で一人うどんを食べていた老婆が突然「イカおいしい!」と叫んだ。私は即座にその声のする方に顔を向けた。老婆が食べていたのはイカ天ではなくちくわ天だった。私は店の中にいるのが怖くなり、食べかけのうどんをテーブルに残したまま逃げ出すみたいに店を飛び出した。いつもより速い速度で家に帰り、隠れる様にベッドに飛び込んで毛布を被った私は気づけばガタガタと震えていた。

 そして朝日が昇り、何事もなかった風に私は次の日を過ごした。ゲソ天の様な友人とゲソ天の様な会話を交わし、ゲソ天の様な実家からの電話に出て、ゲソ天の様な夕飯を食い、ゲソ天の様なテレビをつけるとニュースではゲソやばい事件が起こり、ゲソ天の様なネットショッピングでゲソ天の様なものを購入し、ゲソ天の様なシャワーを浴びて、ゲソまし時計をセットしたら、ゲソ安心した気持ちでゲソ天ではない眠りについたのであった。

 

 

文・下祖利川天次郎