民族テレビ小説「むれ」(1)

ある日何もないだだっ広い大地に、一匹の昆虫が一粒の杉の木の種を運んできた。この種がやがて大きな一本の木になった。今から5000万年ほど前の話である。

そしてアフリカ大陸から長い年月をかけて移動してきた我々の先祖がこの木の麓に集まり、やがてそこに集落を築いたという。しかしアフリカから移動してくるというのは並大抵の事ではなく、途中途中に拠点を築き、共に行動していた群れの中からそこに残るものもあれば、さらに先を目指す者もいた。今も昔も人類は出会いと別れを繰り返しながら進歩と発展を遂げてきたのである。

勿論すべての人間がそのように拠点を築いたりそこで暮らしたりできたわけではなく、途中暑さや寒さに倒れる者や、天候や食糧事情が影響し、飢えや病によって命を落とした者もいる。場所によってはライオンやチーターなどの肉食動物が多く生息するエリアを通過する必要があり、その際にはそのようなどう猛な動物たちの餌食になった者もいた。特に大きな川を渡らなければならない時にはその川の途中で野生のワニに捕食された者が多くいたという。また豪雨や竜巻などの自然災害の威力は現在の比にならず、その凄まじい勢いに巻き込まれ移動を果たせなかった者もいた。

ただその長い道のりを皆が皆自らの足で歩いたのではなく捕えたシマウマやサイに乗って大移動を果たした者もいた。そうしなければ気の遠くなるような長い距離を移動することなど不可能に等しかった。中にはカローラフィールダーに乗ってやってきたものもあり、そのような人物のいた地域には自動二輪、自動四輪の文化が栄え、現在における自動車産業の拠点としてその名残を残す地域もある。その地域に「二」や「四」の字がつく名字が多いのは紛れもなく自動車の車輪の数を表していると言える。例えば「四ツ車家」というのはかつてシマウマの足の先に車輪、肛門部にモーターを取り付けて移動を行った原住民の一族である。そのトップスピードは凄まじく他の四輪車をみるみる追い抜き、いち早く大移動を果たしたという。しかしながら速すぎて行方が分からなくなり、現在では数少ない名字となっている。そして追い抜かれた側の名字で多かったのは「川崎」「本田」「芽留瀬出巣」であった。追い抜かれた側の懸命な努力によって今日の自動車産業の発展があると言っても過言ではない。

いつの世も天才と呼ばれる者は一部の者にのみ知られ、その姿を消すのである。そしてその足がかりを元に後に続く者たちが発展を遂げていくのだ。それは人類の起源から変わらず繰り返されてきたことであり、その他の出来事もまた決してそこまで変わることなく今日まで続いてきているのである。

 

続く